5年間の学生生活を終えて

夏に一人旅で行った島根の足立美術館の庭園

はじめに

新冨です。 2024年3月には、既に3本の記事を執筆し、投稿しています。

yutashx.hatenablog.com

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これらの記事は、それぞれテーマがあり、それを逸脱しない範囲で私見を主張していました。 本記事は、学生生活で感じたこと、学生生活を経て得られた・変わった考え方など、これまで執筆した記事で扱いきれなかった内容に関して雑多に触れていきたいと思います。 本記事が学生生活最後の記事になります。

記事を執筆するモチベーション

これまで数々の私の記事を読んできた読者の中には、なぜ私がここまで記事を書くのか、疑問に思っている方もいると思います。 各記事の”はじめに”に記事執筆のモチベーションは書いていますが、上述の疑問を持っている人の中で、それで納得する人は多くないでしょう。

私がここまで文章を執筆している根底の理由は大きく分けて2つあります。 自己表現の欲求を満たすため、瞬間の記憶の記録の重要性を理解しているからです。

1つ目の理由、自己表現の欲求を満たすためについて述べたいと思います。 私がこれまで書いてきた文章は会津大学という狭い範囲を対象にした、いわゆるニッチな人向けの文章です。 しかし誰も書いてない、独自性があり、価値のある内容を提供している自負があります。 それらの記事を通して、読者に新しい知見を提供し、読者のこれからの行動や選択に影響を与えることができれば、それは私にとって喜びになります。

2つ目の理由、主観の記憶の記録の重要性について述べたいと思います。 人の思考や感情は絶えず変化するため、文章を執筆する行為は、その瞬間瞬間の思考や感情を記録し、将来に渡ってそれらを振り返ることができる手段です。 これは自己成長のための重要なツールとなり得ます。

これらの理由が原動力となり数々の記事を執筆してきました。

趣味開発の変遷

私の大学生活は、大きく分けて2つの時期に分けられます。 研究室に所属する前の期間と研究室に所属している期間です。 前者の期間では、学部の授業科目を履修しながら、趣味開発で様々なものを作って遊んでいました。 後者の期間では、研究活動が大半を占めるようになり、ほとんど趣味開発の時間は取れなくなりました。 研究を効率的に進めるためのツールなどは半分趣味程度の感覚で作っていました。

私のプログラミングをして、最初に作成した成果物は中学生のときのiOSのオセロアプリでした。 当時はiOSアプリで一発当てたいと漠然と考え、親にiOSアプリ作成の本をねだり、当時サポートされたばかりのSwift (確か2014年くらい) で試行錯誤しながら作成した記憶があります。 ある程度完成した段階で、iOSアプリの作成が難しいと感覚的に理解しました。 そこで高校生になったとき、PythonでSlackBotを作成しました。 中高時代は、コピペの次はぎで、あまり理解せずにコーディングしていたような気がします。 また授業や部活で、あまりプログラミングをする時間が取れませんでした。 そこで大学の進路選択する際は、趣味のプログラミングが授業となる情報系の学部を迷わず選択しました。

大学に入学してからは、授業と並行しながら、LINE Bot、Webページの作成、SSHサーバーの構築、ARアプリの開発などを行っていました。 やはり授業だけでは、実践的なアプリケーションを構築することはできないので、積極的に興味のある技術を学び、成果物を作成した覚えがあります。

少し個別の経験を詳しく書いていきたいと思います。 Gitはやはり難しく、研究室で共同作業し経験を積むまでは苦労した記憶があります。 Gitの理解は、GitとGitHubの違いが説明できれば及第点に達していると思います。 また私は、共同開発の経験とともに、Gitサーバーをセルフホストしたことでより理解が深まった記憶があります。

学部2年生のQ3にあったネットワークの授業の前に、予習しようというノリで、夏休み期間中に自宅にRaspberry PiSSHサーバーを建て、インターネットに公開しました。 このとき、公開して10分で22番ポートにインドネシアからアタックが来て、インターネットの怖さを実感しました。 同時にポートやユーザー名をデフォルトから変更する意味、ファイアーウォールをつける意味を実感しました。

学部の授業を受けていると、何度となく大学のワークステーションとローカルでファイルのアップロードとダウンロードを繰り返すことがあります。 そこで当時の私は、sshfsで大学のワークステーションファイルシステムを自身のPCにマウントしていました。 あるときsshfsの接続がなぜかアタックと誤認されて、使用してたIPアドレスがISTCが管理・公開してるIPアドレスブラックリストに載り、ISTCに解除願いを出しに行った記憶があります。

研究室では、研究の実験データを保存、閲覧するためにRAID1で組んだファイルシステムにdocker ComposeでWebサーバーとSambaサーバーを噛ませて、実験データから自動で分析結果のHTMLを生成する仕組みを構築したりしていました。

飛び級の長短

私は、学部を3年で卒業し、修士課程に進みました。 飛び級に関する詳細は、こちらの記事で触れています。

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私が飛び級をして、良かったと思える点は1点あります。 それは、飛び級した人のみ限定の大学からの1年間の給付金がもらえたことです。 この給付金は、飛び級したからと言って必ずしももらえるわけではなく、その年の予算次第で貰える人数が変動するものであります。 自分の年は学年で6人のみ対象だったようです。 この給付金と多少のバイトで、お金に対する不安は無くなり、学問に集中ことができました。

私が思う飛び級の悪い点は、2つあります。 欠点の1つ目として、飛び級をしたと他人に言うことで、色眼鏡をかけられ、肩書きにより自信への期待値を上げてしまう恐れがあります。 ある学生と飛び級した学生がいたとき、どちらの方が優秀だと期待するかと言われれば後者です。 ある一定の働きをしたとき、前者の学生であれば期待値以上の評価され、後者の学生であれば期待通りの評価ということになりえます。 就活中にこの構造に気づき、それ以来飛び級をしたことを全面に出すのは賢くないと思うようになりました。 そもそもこのような評価尺度の中で生きる人間が、飛び級するのが間違いなのかもしれないです。

私に取っての欠点の2つ目は、飛んだ1年でもっと様々な経験をしておけばよかったと後悔したことです。 やはり大学院の在学中に、他の人に比べて知識や経験が劣っていると実感する場面が多々あり、その度にもう一年しっかり勉強しておけば良かったのではないかと思うことがありました。

これらが飛び級をする長所と短所になると思います。 別に就活に有利に働くとかはなかったと思います(自分が全面に出してなかったというのもあると思いますが)。 私は、飛び級をすることで何者かになりたかったのだと思います。 しかし、何者にもなれませんでした。 ただそれで良いと思える心構えを大学院では得られました。

個人的には、飛び級は、飛び級をして余った1年で明確にやりたいことが定まっている人以外にはお勧めできないです。 また自分の代では、学年の約11%(確か27人?)が飛び級するような学年でした。 そのため飛び級の人はその辺にたくさんいます。 余談ですが、飛び級をした人は、朝早く起きて確実に一限に間に合い、しっかりと試験で点数を取ってくる人であるのは間違いないです。

大学側は、飛び級を推奨する話しかしないので要注意です。 飛び級に少しでも興味をもった人は、なぜやるのか、利点と欠点を冷静に見極めることが重要です。 就学支援室に行けば、飛び級の人がそこそこいるので、相談にはお勧めの場所です。

博士後期課程への想い

博士後期課程に興味はありますが、ストレートで行くのはやめました。 博士後期課程に行かなかった理由として、次の6つの理由があります。

  1. 研究室の研究以外の業務が多すぎる
  2. 基礎学力が足りない
  3. 大学に同期が少ない
  4. お金の工面が面倒
  5. 修士の研究テーマが合わない
  6. 大学のお金が少ない

研究室では、研究以外にボランティア活動やTA業務、研究室訪問をした学生の対応など行っていました。 これらが複数重なり、常に何かしらの締め切りに追われており、腰を据えて体系的に何かを勉強する時間をとる心の余裕がありませんでした。 分野の教科書を通読する時間があまり取れず、締切の都合でひたすら結果を出すことを求められ、分析や考察がかなり甘くなるという問題を修士課程の中盤あたりから感じていました。

会津大学の博士後期課程は、全体的に人数が少なく、日本人の学生となると更に人数が少なくなります。 そのような環境に耐えられる自信がありませんでした。

以前自分で試算した結果、学費、生活費、遊びのお金を全て合算すると1年間の学生生活には約200万円必要であるとわかりました。 そのため博士後期課程にいるためには最低でも3年、約600万円の工面をする必要があります。

修士課程では、深層強化学習による自動運転をテーマに取り組んでいました。 深層強化学習の部分は非常に興味をそそられましたが、自動車にあまり興味がなく、研究のモチベーションが湧きづらかったです。 半ば無理をしていた節はあります。

最先端の研究の再現実験をするために、最新のGPUや大量のVRAMが求められる場合がある。 特に深層強化学習は、マシンリソースが大量に求められる研究分野です。 しかし研究室にあるのは古いGPUや少ないVRAMを持つGPUでした。 それらのマシン上で動かすために、研究対象と関係ない改良を求められ、迫り来る締切に追われながら、そのような改良を施すことを求められることがありました。 時間的・精神的にそのような余裕がなかったため、自身のデスクトップPCを研究室に持ち込み、実験を回していたこともありました。 知人の話を聞く限り、やはり旧帝大の方が研究リソースは多そうです。

これらの理由が相まって、私は博士後期課程への進学をしませんでした。 楽観的な見方ですが、これらの問題は社会人になり、仕事をしながら独学で勉強し、別の大学へ進学すれば解決する可能性はあると思っています。

お金に対する考え方

お金に対するリテラシーを早いうちから身につけておくことは、人生を豊かにすると私は思います。 特にお金はお金に稼がせることができる、この視点を持つことが重要であると私は思います。

私は高校2年生の頃から株やインデックスの投資を始めました。 自分が持っているお金を市場に投じることで、日々の政治や経済の動向への興味関心は向上しました。 また高校のときに世界史を専攻していたことで、歴史と地続きの政治、資本主義の成り立ちを知っていたことも幸いしました(蛇足ですが、近代の世界史を学びたいという人は、映像の世紀がおすすめです)。

学生は伸び代の塊であると私は考えています。 学生の内の1〜2年の努力が、将来何倍にもなって返ってくるのが容易に想像できます。 実際自分が大学院の2年間で得られた経験、精神性、心構え、思考、文章執筆能力は貴重な財産に既になっています。 「謎の半導体企業が儲かる!学生もNISAやろう!」みたいな話に踊らされることなく、今本当に必要なことは何か、目先のことに囚われずに俯瞰的に考えることが重要であると私は考えます。 回収に時間がかかると思いますが、自己投資が最も効率的な投資になると今は思っています。

時間に対する考え方

時間をどう使うか非常に難しい時代です。 SNS、動画配信サービス、ソーシャルゲームを始めとする時間を潰すコンテンツは、一生かかっても消費しきれないほどの量存在します。 その中で、やるべきととと娯楽をいかに折り合いをつけて共存させるか、非常に難しいテーマであると思います。 コンテンツ提供者は、コンテンツ上により長く人が滞在するように、消費している人の好みに最適化されるように設計しています。 いかにコンテンツの呪縛から逃れるかが試されている時代となったと私は思います。

真に何かやりたいことがあると思っている人間は、コンテンツの呪縛に囚われることなく、やりたいことをやれるはずです。 この落合さんの言葉を強く信じて生きたいと思います。

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おわりに

振り返ってみると、学部1、2年は成績を取るのに集中し、3年生は研究をかじり、修士課程はひたすらに研究室で研究やその他のタスクをこなす修行の日々だったと総括できます。 学生生活を通して様々な経験を積むことができました。 これまで支えてくださったみなさんには感謝してもしきれません。 ありがとうございましました。 そしてこれからもよろしくお願いします。